うちのくだらない話

ポジティブに生きたい母の心の叫びを綴るブログ

育児なんて楽勝だと思ってた私がガッツリ産後うつになった話

どうも。ドラ母です。

 

いち姫を出産し、ようやく母になる夢を叶えた私は、いわゆる産後ハイに陥っていました。

 

いち姫はとにかくよく泣く赤ちゃんで、オムツを替えても、ミルクを飲んでも、添い乳しても泣き止まない。

 

新生児はよく眠るものだと思っていたのに、全く眠らない。

 

帝王切開の傷が痛むのと寝不足なのとで藁にもすがる思いで新生児ルームに預けても、「ミルクはさっきあげましたけど、何しても赤ちゃんがずっと泣いてるんです。どうしましょう?ミルクを足していいですか。」と看護師さんから連絡が入るほど。

 

そんなん知らんよ。ミルクを足していいのか悪いのかわかりませんよ。素人やで?

 

やっぱり私でないと守ってやれない。

 

たった1度預けてからは新生児ルームを頼ることなく、疲れた体を産後ハイのアドレナリンで奮い立たせて抱き続けました。

 

部屋ではなく、ひんやりと涼しい廊下で抱っこしながらゆらゆら揺れていないと寝てくれないいち姫。

 

泣き止ませないと他の妊産婦さんに迷惑かけると思って夜中から朝までずっと廊下を歩き続けました。

 

産後の入院中、早くも体はもうボロボロでした。

 

けれどそこは産後ハイ。

 

アドレナリンパワーで興奮しまくっていたので体の辛さなんて気になりませんでした。

 

逆に元気モリモリ。と思ってました。

 

やっとやっと胸に抱けた私の子。

絶対に離すものか。

何があっても守り抜く。

例えお腹の傷がパックリ開こうとも。

 

武士かよ。

 

強い決意を胸に目をギラギラさせ薄笑いを浮かべながら夜の廊下を歩き続けていました。

 

夜中の暗い廊下でヒタヒタヒタヒタ…

 

1度、すれ違った男性が飛び上がるほどにびっくりされてました。

 

大丈夫ですか、すみません、と言う代わりにニヤリと微笑んで見せましたら急いで目を逸らしてらっしゃいました。照れちゃって。

 

毎晩毎晩ヒタヒタヒタヒタ。

 

怖いわ。

 

家族も一緒に泊まれるはずの産院で、なんで旦那がいてくれなかったかというとですね、

 

なぜか産後すぐに旦那が胃腸風邪を発症したので帰ってもらったんです。

 

赤ちゃんにうつったら大変なんで。

 

いちばん頼りにしてた時に全く役に立たなかった旦那。

 

だから1人で頑張ろうと思ってしまいました。

 

この時ちゃんと新生児ルームに預けてしっかり眠ってたら良かったのに。

 

退院したら実家に帰れる。

きっと優しい両親と回復した旦那が子どもの面倒を見てくれる。

だからそれまでの辛抱だ。

 

その考えが甘かったんです。

 

例え泣き喚いている赤ちゃんでも身内なら可愛いくてたくさん抱っこしてくれると思ってた、その間にたくさん眠れると思ってた、その考えが。

 

退院をゴールだと思い込み、傷が痛くても寝てなくても頑張って耐え抜こうと。

我が子のために全てを捧げて頑張る自分は素晴らしい母親なんだと、ただただ自己陶酔してました。

 

気持ち悪いヤツやな。

 

寝てくれない。眠れない。って、誰にも相談せずに。

 

あの頃の自分にビシっと言ってやりたいです。

 

子どもを守りたいならまずは寝なさい。

睡眠第一!

 

ナポレオンじゃないんやからさー、ほぼ徹夜で子ども育てるなんて無理なのよー。

自己犠牲が母親の美学じゃないんだからさー。

なりふり構わず周りに助けを求めるのも親の務めやで?アホちゃうか?ってね。

 

 

そして退院後、実家に帰りました。

回復した旦那と共に。

 

実家での生活は、私の想像とは全く違いました。

 

昼夜問わず泣き喚くいち姫をみんな可愛い可愛いと言ってくれたけど、誰も抱いてくれない。

 

ずっと泣いてて、少し小さめに生まれたいち姫は、すぐに壊れてしまいそうなほど儚げでした。

 

だから怖いんだと。

 

みんな少し抱いては私に返して来ました。

 

「やっぱり母親じゃないとダメなんだ」

 

そう言いながら。

 

私が抱いても泣いてるのに。

 

まだ誰が母親かなんてわかってないのに。

 

旦那に至っては、「怖い」「俺は仕事がある」「うるさくて眠れへん」

そう言うだけ。

 

仕事から帰ってもいち姫に声もかけないし、あやしてもくれなくなりました。

 

挙げ句の果てにヤツは「疲れて帰ってもずっと泣いてばっかりいられたら辛いわ。」

と犠牲者面する始末。

 

今なら、

 

おい!もう1回言ってみろ!!ふざけんな!

 

くらいは言い返すんですが、当時は良妻賢母を目指していたのでしおらしく謝りました。

 

「ごめんね。私のせいやね。いつも仕事頑張ってくれてるのに。ごめんね。ゆっくりしてて。」

 

 

これがダメでした。

 

私のこの甘い態度が旦那をアホにしたのです。

 

嫁がフラフラでも全く気にならず、夜更かししてゲームして休みの日は昼まで寝てる。

 

子どもなんて抱くわけないやん。だって小さいし。怖いし。俺が抱くと泣かれるから。落としたら怖いやん?母親なら絶対落とさへんし、何があっても本能で子どもを守るから、任せとけばいいねん。俺の仕事は金を稼ぐ事だけや。休みの日はガッツリ休ませてもらうで〜。

 

当時の旦那の言い分。絵に描いたアホ。ブラボー。

 

いち姫は外が好きだったので、夜中になるとベランダに出てずっとゆらゆら揺れていました。

 

そうしている間はスヤスヤ眠ってくれたから。

 

朝の5時から7時の間は、いち姫の熟睡タイム。

 

だからその間は私もようやくゆっくりできました。

 

ただし、いち姫を抱いてベッドに座ったままという条件付き。

 

いち姫をベッドに横たえると必ず背中スイッチが作動して泣いたからです。

 

添い乳ですら無理でした。

 

家族といち姫を眠らせる為に、自分を犠牲にするしかありませんでした。

 

じゃないと自称睡眠障害の旦那が寝不足や寝不足やと騒いでうるさいからです。

 

おかげで毎日の平均睡眠時間は2時間ほど。

 

いち姫が生後4ヶ月になるまでそんな生活が続きました。

 

生後2ヶ月になった頃、だんだん産後ハイだけではどうしようもなくなってきました。

 

体が限界になって来たのです。

 

フラフラで毎日なんとか生きていたそんな時、いち姫を可愛いと思えなくなった自分に気付きました。

 

口では可愛い可愛いといち姫と自分に言い聞かせてるけど、ちっとも可愛いくない。

 

あれ?なんで?

 

可愛いと思う余裕がなかった。

 

そして頭の中で声がしました。

 

「死ねばいい」

 

紛れもなく自分の声。

 

あまりの恐ろしさにハッとしました。

 

誰に?誰に死ねばいいとか思ってんの、私は?まさかこの子に?会いたくて会いたくてたまらなかった、やっと生まれて来てくれたこの子に?

 

まさかまさかまさかまさかまさか!

 

恐ろしくて恐ろしくて、いち姫を抱きしめました。

 

自分の中に悪魔がいる!どうしよう!

 

あかん。引っ張られたらあかん!

しっかり、しっかりしよう!

 

恐ろしい声を必死で打ち消しました。

 

次に来たのは激しい睡魔。

 

あぁ眠い。寝たい。寝たい寝たい寝たい。

 

両親も旦那も皆んな仕事で誰もいない。

誰も頼れない。

 

泣き続けるいち姫。

 

気分転換に外に出よう。

 

2人になっちゃいけない。

 

気付いたら、マンションの最上階にいました。

 

ふと下を見ると地面に吸い込まれそうになりました。

 

あぁ、今このまま吸い込まれたら、ずーっと眠れるなー。

 

寝たいなー。

この子と一緒にずーっと寝ていたいなー。

 

あ、ダメだ。

 

また悪魔が現れた。

 

負けるもんか。負けるもんか。お前なんかに、

 

 

負けるもんか!!!

 

 

ほんの少しの理性でなんとか思いとどまりました。

 

それからはピタリと恐ろしい声は聞こえなくなりましたが、すぐに泣いたり叫んだり自分の髪をむしろうとしたりして、両親にめちゃくちゃ心配かけました。

 

もう自分が自分じゃないみたい。

 

自分は絶対うつとかノイローゼとかとは無縁だと思ってました。

 

だってポジティブだから。

 

ポジティブ寄りのネガティブだから(どっちやねん)

 

ずっと、可愛い子どもを授かったのに育児ノイローゼなる人とか産後うつになる人ってよっぽど神経質なんやろうなって思ってた。

 

だけど違った。

 

私は神経質じゃない。それほどは。

私は孤独じゃない。いつも家族が側にいる。

 

なのに、あれはきっと、軽度の鬱でした。

 

全くの別人でした。

 

今では考えられないほどのネガティブな思考回路してました。

全てにおいて。

 

睡眠不足。

 

ただそれだけで、それまで形成されたという人格がめちゃくちゃになりました。

 

ただ、ゆっくり寝たかった。

 

寝かせて欲しかった。

 

 

そんなある日、姑や旦那の親戚に会った時に「赤ちゃんよく泣くんですよ〜」と一言言ったらこっぴどく怒られました。

 

私が。姑と親戚に。

 

なんでやねん。

 

「アンタが神経質やから子どもが泣くんや。ずっと抱いてるからアカンのや。なんやその目は?なんか文句あんのか」

 

などなど20分間説教されました。

 

腹立つ!!

 

隣にいたアホ旦那は嫁を庇いもせずに言いました。

 

「おかげで俺も寝不足や。辛い。」

 

当時は意識が朦朧としていて何も言い返せずに、ただ睨み返す事しかできませんでした。

 

何を言えばいいのかわからなかった。

 

私のせいなのか?そうなのか?

私が母親じゃなかったら、この子はこんなに泣かなかったのか?

 

ダメだ。何も考えられない。

 

その夜は悔しくて悲しくて涙が溢れて眠れませんでした。

 

 

そして目覚めた翌朝、私の中のが覚醒したのです。

 

 

鬼嫁誕生の瞬間でした。

 

 

ここから我が家は、怒涛の産後クライシスライフに突入したのです。

 

 

おわり。

 

 

〜追記〜

 

私は産後、決して孤独ではありませんでした。

とても恵まれた環境にいたにも関わらず、気が狂いそうになりました。

 

このコロナ禍で誰にも頼れず孤独に出産育児されてる方は多いと思います。

 

それがどれほど辛く大変な事か。想像を絶します。考えただけで心配になります。

 

どうか、どうか、辛い時は誰かを頼って欲しい。

私はそれができずに苦しみましたが、助けを求める事は親の立派な、大事な務めだと思います。

 

どうか、無事にコロナ禍を乗り切れますように。

 

 

長い話しを聞いて頂きありがとうございました。