うちのくだらない話

ポジティブに生きたい母の心の叫びを綴るブログ

産後クライシスが我が家にもたらしたもの

どうも。ドラ母です。

 

うちの父親曰く、恋愛とはゲームなんだそうです。

惚れたら負け。惚れさせたら勝ち。

 

だからお前は絶対に勝て、と。

男に惚れるな、惚れさせろ、と。

 

女は男に惚れられ愛され大切にされてこそ幸せになれるものなんだと。(すごい偏見)

 

恋愛が何かわからない頃から、父にそう教え込まれて来ました。

 

そのせいかどうかはわかりませんが、自分は不感症なんじゃないかと思うくらいに、誰にも心動かされませんでした。

 

女たる者、殿方相手に容易く心を許しませぬぞ。

 

と胸に短剣を忍ばせて…いたワケではもちろんありませんが、運命の人以外に私の心はなびかないと信じていました。

 

その甲斐あって(?)誰も、私を惚れさせる事はできませんでした。

 

周りの誰にも魅力を感じない。

あぁ、きっと、私は父の言う通りに男に惚れられる女になってしまったのね。

ただ求められ、愛されて、私を勝ち取った誰かのものになるのね。

私はその勇者を愛する事ができるのかしら…

はぁ〜。

 

自分から惚れる事もなければ誰かに惚れられる事も無かった20代前半のヤバい悩み。

 

勝ち取るも何も、私は誰にも奪い合いなどされず、平穏無事に暮らしておりました。

 

そんな時、先輩の紹介で出会った旦那に一瞬にして心奪われてしまった私。

 

父親が言うところの恋愛ゲームであっという間に惨敗してしまったのです。

 

旦那の何がそんなに良いんだって、そりゃもう、です。

 

顔が超タイプ。私だけにどストライク。

 

全く整えてないのにゴルゴ13のような凛々しい眉毛、どんな時でも崩れない彫りの深い顔立ち、私の視線を捉えて離さない強力目ヂカラ…

 

そして何よりも、それほどハイスペックな顔立ち(私目線)をしていながら、いつ見ても放置されている鼻毛の存在が、旦那の魅力をより一層引き立たせ不動の物にしていました。(何故か誰もイケメンだとは言ってくれませんが)

 

また鼻毛出てる。今日は鼻くそまで絡まってる。

 

なんでなん?思いっきり出てるで?1.5cmはあるで?鏡見てないの?デートやのに?デート前に鏡も見ないなんて、あぁ…なんて…

 

 

なんて男らしい人!

 

 

あぁ素敵。もう、ホントに、どストライク。

 

ですが私は間違っていました。

 

 

ろくに鏡を見ない、ありのままの姿で堂々と私に会いに来る旦那はとても男らしい人なんだと思っていました。違うのに。

 

いつでもありのままの姿(裸ではありません)で、寡黙で、優しくて。

 

顔も声も旦那の一挙手一投足その全てが私を虜にしました。

 

口下手で不器用だけど私を大切にしてくれる。

そんな旦那にもうメロメロ。

 

参りました。降参です。

 

 

結婚してください。

 

 

交際中の4年間、ずっとずっと願い続けてやっと結婚。

 

子どもが生まれるまでずーっと旦那にベタ惚れでした。

 

愛する旦那様には家にいる時くらいゆっくりしてもらいたくて、共働きにも関わらず家事は全て私。

 

子どもが産まれても、もちろんそんな生活を続けるつもりでいました。

 

だってこんなに素敵な人(私にとっては)と結婚できたんだから。ね、ダーリン。なんて。

 

私の旦那への愛は紛れもなく本物でした。

後にも先にもこれほど愛するのは旦那だけ。

永遠に揺らぐ事の無い愛…のはずでした。

 

あの日までは。

 

長女を出産し、睡眠不足が続いている中で姑と親戚(旦那側の)に説教されたあの日。

庇ってくれるはずの旦那が一緒になって私を責めた、あの日までは。

 

親戚「子どもが泣いて寝ないのはお前のせいや。お前が病院で抱き癖付けたせいや。泣くからってずっと抱く必要ないんや。甘やかすな!なんやその目は!?その態度は!?なんか文句あんのか!?」

 

姑「そうやで。あんまり神経質に育てたらあかん。赤ちゃんはベッドに寝かせな背骨が曲がるんや。抱いてばっかりいたらワガママになるで?私は3人産んだから言わせてもらうけど。」

 

旦那「確かにな。おかげで俺も寝不足やし、仕事から帰って泣いてばっかりいられたらよけいに疲れるから頼むわマジで。泣かせんといて。」

 

旦那のこの言葉が、大切な私の旦那への愛を粉々に打ち砕きました。

 

愛しているからあなたと結婚したかった。

愛しているからあなたの子どもが欲しかった。

愛しているからあなたをゆっくりさせたかった。

 

だからずっと抱いていた。

抱っこでゆらゆらしてないと眠らない赤ちゃんを。

夜中に泣いたら、あなたの仕事に支障が出るだろうから、必死にあやして泣き止ませた。

毎日毎日フラフラだったけど、あなたと娘の為ならなんだってできると思っていたから。

 

きっとあなたも同じ気持ちなんだと思ってた。

少しも思いやってくれなかったけど、疲れているだけなんだと思ってた。

何かあれば、私と娘を守ってくれると思ってた。

 

だけど違った。

 

あなたは守ってくれなかった。

 

大好きだったのに。あれほど大切だったのに。

 

あなたは…

 

 

いや…

 

 

お前は、守ってくれなかった。

 

 

よくも私をこきおろしてくれたな。

 

 

翌朝目覚めた時には私はと化していました。

 

良妻賢母を目指してたのに。

 

そんなのどうでもよくなった。

 

産後の辛い時に全く助けてくれないばかりか一緒になってイビリやがって。

 

仕事があるのを免罪符に堂々と夜中も休みも1人で寝やがって。

 

バカバカしい。なんでこんなアホに気遣って生きてなあかんねん。

 

クソが。

 

ふざけんな。

 

 

「私が産後どんな生活送って来てたか見てたやろ。私が1人で子どもの面倒見てるの知ってるやろ。だからアンタゆっくり寝れてるんちゃうんか?え?どうやねん?なぁ!?なんでお前被害者ヅラやねん!なぁ!!

ちょっとは育児参加せーよ!ふざけんな、マジで!

今日一日お前が面倒見ろ!!

わかったな!

それとお前の親と親戚には二度と会わへんからな。

揃いも揃ってアホばっかり。ふざけんな!!」

 

 

アンタとかお前とかふざけんなとか、この時初めて言いました。

せっかくしおらしくしてたのに。

もう旦那への愛情など消え失せていました。

 

嫁のあまりの豹変ぶりに恐れおののいた旦那は、それからは育児に参加するようになりました。

 

毎日私に気を遣い、私の顔色ばかり伺うようになりました。

 

でも足りない。

 

いくら旦那が頑張っても、全然足りない。

 

だって旦那は、揉めたくないから無理に育児を手伝ってるという本音がバレバレだったから。

 

いくら伝えても無駄でした。

 

育児は母親だけの務めじゃない。両親の務めだと。

 

いくら言っても旦那には響きませんでした。

 

ただ私の機嫌を取ってるだけ。

 

娘が病気でも看病もしない。

相変わらず家事もしない。

ただ嫁が怒ってないか気にしてるだけ。

毎日毎日嫁の機嫌を伺うだけ。

 

なんやコイツは。どんだけ役立たずやねん。

 

そんな目で嫁に見られる毎日。

 

いつしかそんな生活に疲れた旦那は仕事の激務と相まって痩せ細っていきました。

 

目からは生気が消え、何をしててもうつろな表情。

 

それでも私は許せなかった。

 

お望みならば離婚しますよ。

なんなら浮気でもして誰かに癒してもらったら?

どうせなら不倫でもしてくれたらいいのに。

そしたら慰謝料ガッポリ貰えるからな。

 

あぁ、今日は帰り遅いなー。事故にでも遭ってるんかな。それでも全然心配じゃないわ。さすがに死なれたら困るけど。

 

当時、私の旦那への扱いはこれほど酷いものでした。

もちろん口には出してませんが、態度には出してました。

 

アンタなんかちっとも大事じゃないんだよ。

娘さえいてくれたらそれでいいんだからさ。

 

今から考えたら吐き気がするほどに醜い自分。

 

当時の私にとって旦那はただの同居人でした。

 

仕事で疲れ、家では針の筵でストレスフルな旦那が上手く嫁のサポートができるワケもなく、ますます深まる夫婦の溝。

 

そんな生活は、娘が幼稚園に入園するまで続きました。

 

自分の時間ができた事で凝り固まった心が少しずつほぐれていき、物事を冷静に見られるようになってくると、旦那を気に掛ける心の余裕ができました。

 

ちょうどその時、旦那の浮気疑惑が浮上しました。⬇️詳しくはこちら

未だにグレーな旦那の浮気疑惑 - うちのくだらない話

 

 

夫婦関係に悩み、疲れ果てていた旦那の目に私は写っていませんでした。

 

私は母として頑張っている。

 

その自負で全て許されると思っていた私は、この時初めて焦りました。

 

このままじゃ旦那に捨てられる。

私も娘も捨てられる。

 

旦那を他の誰かに奪われるかもしれない。

そんな焦りが、消え失せていたはずの旦那への愛を少しずつ少しずつ呼び覚ましました。

 

役立たずなんかじゃなかった。

大切な人だった。

自分の気持ちを上手く表現できない、不器用なところに惹かれたんだった。

 

まだこんなにも愛していたんだ。

 

忘れていた自分の気持ちに気付いてからは、何度も何度も話し合いました。

 

4年間もすれ違っていた2人が、話し合ったからと言ってすぐに戻れるワケもなく、しばらくは二歩進んでは三歩下がる状態でした。

 

何度も離婚が余儀って何度も挫けそうになりました。

 

それでもなんとか這い上がれたのは2人には共通の思いがあったから。

 

 

娘を守りたい。

 

私達は夫婦であって、娘を守る同志なのだと。

 

 

少しずつ歩み寄って、今があります。

 

息子が産まれてからは、娘の時とは別人のようにテキパキ動いてくれる旦那。

 

家事も育児も率先してやってくれます。

手伝いなんかじゃありません。(もちろん完璧ではないですが)

 

「おはよう。ちゃんと眠れた?」

毎朝こうして気遣ってくれます。

 

「ただいま。ママ、今日もお疲れ。」

仕事から帰るといちばんに私を労ってくれます。

 

「おやすみ。ゆっくり寝てや。後は任せて。」

寝る前には優しく声をかけて、お風呂掃除をし、部屋を片付けてくれます。

 

産後クライシス第二弾がないのは旦那の努力の賜物です。

 

「いつも子ども達を守ってくれてありがとう。」

 

「ママのおかげで俺は仕事に打ち込める。」

 

なんて言っていつも私に感謝してくれます。

 

無口だった旦那が、たくさん話しをしてくれるようになりました。

 

辛くて長い産後クライシスは私達夫婦の関係をぐちゃぐちゃにしました。

 

けれどそれは、雨降って地固まる、まさにその言葉の通りに、夫婦の絆を強く硬いものにしてくれました。

 

辛かったけれど、それがあったからこそ、それを乗り越えたからこそ、今の幸せがある。

 

互いを思い遣り、今を大切に生きて行こうと思える。

 

もしかしたら浮気されるかもしれないけど、そうならないようにギュッと気持ちとウエストを引き締めて行こうと頑張れる。

 

「幸せやな。ありがとう。」

 

そう言って心から楽しそうに優しく笑う旦那。

 

その目には、しっかりと私が写っています。

 

 

おわり。

 

 

ふー、長すぎるわ!!

 

ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃ!!

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました!

 

それでは、また^_−☆