うちのくだらない話

ポジティブに生きたい母の心の叫びを綴るブログ

不妊症と流産に泣いた日々②

不妊症と流産に泣いた日々① - うちのくだらない話

⬆️の続きです。

 

医師「どう?なんで子ども欲しいの?」

 

黙り込む私に医師は再度尋ねました。

 

私「欲しいからです。理由は…無いです。ただ子どもが欲しい。産みたい。その気持ちが抑えられなくてどうしようもない感じです。本能…ですかね?」

 

なんちゅう答えや。

 

本能とか言うな恥ずかしい。

 

だけどこれ以上の答えが出せませんでした。

 

私はただ、母親になりたい。

自分は母親になる為に生まれて来たのだとずっと信じて来たのだから。

 

子育ては大変だって聞くけれど、私ならきっと上手くこなせる。

 

私だったら、ずっと笑顔の素晴らしい母親になれる。

 

妊娠さえできれば。子どもさえ生まれれば。

後は育てるだけ。

夢にまで見た我が子との毎日は楽しいに決まってる。幸せに決まってる。  

 

これほど子どもを熱望している私なら明るい家庭を作れるに決まってる。

 

医師「大変だよ。子どもって。見てるだけなら可愛いんだよ。だけど育てるとなったら話は別なんだよ。」

 

 

私「大丈夫です。私はきっと子育てが大変だなんて思わないです。子どもがいない苦しみとは比べ物にならないと思います。」

 

 

医師「…いいでしょう。それでは検査して治療を始めていきましょう。」

 

 

その後の検査で、プロラクチン値は正常範囲内に治ってるし、排卵もちゃんとしてる。

生理が2週間続く原因はわからないけれど、きっと大丈夫だよ、と言って頂きました。

 

医師「でもまぁ、2年近く妊娠してないわけだから、とりあえず薬を処方します。これで調子良ければ妊娠するし、しなくてもまた次にステップアップしたらいいだけだから、肩肘張らず楽しく行きましょう。」

 

どこまでも明るいこの医師に当時の私は心底救われました。

 

 

処方されたのはクロミッドという排卵誘発剤です。

 

これを飲んだ3日後に高熱と目眩でフラフラになりました。

 

まさかクロミッドの副作用かな?

 

不安になった私は病院に問い合わせてみました。

 

すると電話口の医師はぶっきらぼうに言いました。

 

医師「クロミッドでそんな副作用はないです。」

 

副作用じゃないと言われ安心したものの、別人のような医師の対応に困惑しました。

 

あ、でもな、忙しいのにわざわざ電話かけてこられたらイライラするよな。

 

そう思って気にしないようにしました。

 

そして次の診察日。

 

必ず持参するように言われた基礎体温表を忘れてしまいました。

 

どこまでもバカ。

 

医師「え!?基礎体温表忘れたの!?そんなんじゃ診察なんてできないよ。どうすんの?ちゃんと持って来てよ。」

 

私「すみません!次はちゃんと持って来ます。」

 

医師「頼むよ。とりあえず排卵の様子だけ見たいから内診しますから。」

 

私「はい。」

 

医師「排卵はちゃんとしてる。薬が効いてる。副作用って疑ってたけどそんなわけないから。」

 

医師は、処方された薬の副作用を疑い、基礎体温表を忘れたどこまでもマヌケな私に怒っていました。

 

その日は一度も笑う事も目を合わせてくれる事もなく、ピリピリした雰囲気だった医師。そのあまりの態度の違いにとても不安になりました。

 

悪いのは私だ。だから文句は言えない。だけどこんな変な緊張感の中で治療したくないな。

 

そう思うと、病院に行くのが嫌になりました。

 

その矢先です。

 

胸が張って痛くてたまらなくなりました。

 

あれ、今度こそ薬のせいかな。

怒られたらこわいから黙っておこう。

 

次は基礎体温の高温期が続きました。ずっと身体がぽかぽかして微熱があるようでした。

 

あれ?まさか。

 

そして無性に三ツ矢サイダーが飲みたくなりました。

 

これは…?

 

 

待てど暮らせど生理が来ません。

 

 

妊娠だ!!やった!妊娠した!!

 

 

嬉しくて嬉しくて、急いで検査薬を買いに行きました。

 

結果は陽性。

 

待ち焦がれた瞬間です。

 

 

やった!やった!やった!やったー!!

 

 

嬉しくて嬉しくて、ずっと検査薬を眺めてました。

 

これでやっとお母さんになれる。

 

喜んだ私は、クリニックに電話しました。

 

私「陽性反応が出ました。診察日は前倒して頂けませんか?」

 

すると電話口の受付の人が先生に相談に行ってくれて先生の言葉をそのまま伝えてくれました。

 

受付の人「妊娠されたなら産婦人科に行ってくださいとの事です。」

 

 

良かった!

ちょうど不信感でいっぱいだったので、産むならここ!と決めていた地元で人気の産婦人科に駆け込みました。

 

先生「妊娠してますね。おめでとうございます。次は心拍見たいからまた来てね。」

 

言われたのはこれだけでした。

 

それから3日後、出血が始まりました。

 

え?妊娠したのに、何で?

 

お腹に張りもあります。

 

まさか流産?

 

泣きそうになって急いで病院に電話しました。

 

病院「すぐに来てください。」

 

先生「流産ですね。これから出血量と痛みは増えるでしょうが、自然流産なので特に処置も薬もありませんので」

 

その日の担当医は、いちばん最初に不妊症だと冷たく言い放った、あの先生でした。

 

相変わらずの冷たさでした。

 

 

呆然として待合室に戻る私を、看護師さんが追いかけて来て慰めてくれました。

 

看護師さん「大丈夫だからね。次にまた妊娠できるから大丈夫だから、気を落とさないでね。あなたは悪くないんだよ。」

 

口を開いたら涙が溢れ落ちそうで、無言で頷くのが精一杯でした。

 

優しくしないで。

 

そんなに優しい言葉を言われると、甘えて泣き叫んでしまいそう。

 

どうか優しくしないでください。

 

そう思ってしまいました。

 

こういう時は、冷たくされる方が涙も引っ込むのかもしれない。

妊婦さんでごった返す中で、お腹ペタンコな私(当時体重50キロ)が泣いてたら、流産したってすぐにバレる。

かわいそうーって思われたくない。

 

だから、ひたすら俯いていました。

 

だけど止まらないんです。

堪えても堪えても涙も下からの出血もお腹の張りも痛みも。

 

あぁ赤ちゃん。お願いお願いお願い!!ママのお腹にしがみついてて!!お願いやから!絶対大事にするから!絶対守るから!絶対離さないから!だからお願い行かんといて!!ママから離れんといて!お願いお願いお願い!!

 

 

ママを置いて行かないでー!!

 

その時、悲しみのあまり幻が見えました。

 

待合室の床に浮かび上がるニッコリ笑う女の子。

 

「大丈夫だよ。すぐに戻ってくるよ。そしたらずっと離れないからね。」

 

そんな声が聞こえた気がしました。

 

相当ヤバいヤツやんと思いますが、それほどの悲しみでした。

 

女の子は優しく笑って消えて行きました。

 

 

あぁ消えないで。ママを置いて行かないで。

 

 

家に帰ると、痛みは更に増しました。

 

骨盤を左右から引っ張られるような引き剥がされるような痛みでした。

 

その痛みはお腹の子が旅立つ痛み。

たまらなく苦しかった。

 

辛くて辛くてたまりませんでした。

 

流産の後は空を見上げては泣いていました。

馬鹿みたいにお酒を飲んでは酔い潰れていました。

 

不妊治療をしようという勇気と気力が出ませんでした。

 

痛いだろう。辛いだろう。また先生に怒られるだろう。

 

だから嫌だ。

 

治療する勇気が無いなんて母親失格だ。

私はそこまでの覚悟ができてないんだ。

だから母親になる資格なんてない。

こんな頑張れないヤツ、母親になれるワケない。

 

自暴自棄になった私を救ってくれたのは当時2歳だった姪のこめ子でした。

 

この子がいるからいいや。この子の為に、笑って生きよう。

 

いつか空であの子に会える日まで。

 

半年ほど、そうやって悲劇のヒロインぶっていました。

 

そして、半年後、また妊娠しました。

 

ただでさえ流産が怖いのに、初期は微量の出血

が続いて恐ろしくてたまりませんでした。

 

また流産したらどうしよう。

 

ビクビクしながらようやく後期を迎えても、まだまだ安心できませんでした。

 

予定日が過ぎた頃、また出血しました。

急いで病院に行くと問題ないと帰されましたが、翌朝痛みでまた病院に行きました。

 

調べると、お腹の子の心拍低下が判明し、緊急帝王切開する事になりました。

 

そうしてやっと、やっと我が子を、いち姫を胸に抱く事ができました。

 

やっと、お母さんになれました。

 

が。

 

喜びも束の間。

 

出産さえできれば後は夢のように幸せな生活が始まるのだと思ってたかつての私は、現実を叩きつけられました。

 

クリニックの医師の話しは本当だった。

育児は大変すぎる。

辛過ぎて全然笑顔になれない。

素晴らしい母親って何?明るい家庭って何?

もう全部、ボロボロなんやけど…

 

そうして山あり谷ありフラフラになりながらもなんとか家庭を築き上げ、いち姫が4歳になった頃、また妊娠しました。

いち姫が教えてくれたのです。

 

いち姫「ママ、お腹に赤ちゃんいるよ。」と。

 

 

そして胎嚢が確認できた後、またいち姫が言いました。

 

いち姫「ママ、赤ちゃん、死んだ。」と。

 

また流産でした。

 

その時はいち姫を出産したのとは別の近くの総合病院だったのですが、そこの先生が優しい人で、親身になって慰めてくれました。

 

「流産はあなたのせいじゃないです。胎児側に原因があるので、決して母体のせいではありません。だからご自分を責めないようにしてください。ご家族にもそうお伝えください。不幸中の幸いで自然流産ですから、手術は必要ありません。2ヶ月置いてからまた妊娠が可能になります。大丈夫ですからね。あなたは決して悪くない。悪くないですからね。」

 

この時はもう、我慢できずにブワっと泣いてしまいました。

 

鼻水も涙も一気にブワっと撒き散らしてしまいました。

 

診察室で。先生の前で。

 

汚いな。

 

 

ティッシュ持って来て!!」

 

先生が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった私の顔を気遣って看護師さんに頼んでくれていました。

 

待合室に戻ってもヒクヒクしゃくり上げて泣いてしまいました。

 

いい歳して、子どもみたいに。

 

周りは妊婦さんばっかりなんだから、不安を煽ったらダメなのに止まりませんでした。

 

心配した看護師さんが別室へ案内してくれようとしましたが、一刻も早く帰りたくてお断りしました。

 

泣きながら帰って、旦那と待っていたいち姫を抱きしめました。

 

良かった。この子がいてくれて。本当に良かった。

 

するといち姫が言いました。

 

いち姫「ママ、泣かないで。赤ちゃんまた戻ってくるよ。11月に。男の子だよ。」

 

そうして、11月が最終生理となり、翌月妊娠が判明しました。

 

 

生まれたのは元気な男の子、二太郎でした。

 

 

 

最初の子を授かるまで3年近く、次の子を授かるまで4年。そして2回の流産でたくさん泣きました。他の方に比べたら本当に短期間ですが本当に苦しかった。

 

うちの旦那の姉は妊娠するまで8年。

うちの知り合いの女性は10年泣き暮らしていました。

 

不妊症も流産も珍しい話じゃない。

泣いてる人はたくさんいる。

 

私は自分の子ども達に泣き暮らしてほしくない。

 

だから今から言っています。

 

赤ちゃんを授かるのは奇跡なんだと。当たり前じゃないんだと。

 

子どもを授からないとかわいそうという世間の目が消えればいいのに。

 

特別養子縁組がもっとポピュラーになればいいのに。

 

不妊治療がもっと身体的にも経済的にも優しくなればいいのに。

 

たくさん色んな事を考えますが…

 

せめて自分が何気ない言動で誰かを傷付ける事がないように、細心の注意を払っていこうと思います。

 

 

長い話しを最後まで見て頂きありがとうございました。