うちのくだらない話

ポジティブに生きたい母の心の叫びを綴るブログ

不妊症と流産に泣いた日々①

どうも。ドラ母です。

 

小学生の頃から、私の夢は決まっていました。

 

お母さんになりたい。

ただ、それだけ。

 

女の子でも男の子でもいい。

1人でも2人でもいい。

 

私のお腹に来てくれるなら。

私を選んでくれるなら。

 

いつか白馬の王子様が現れて、私に一目惚れしてくれて、熱烈なプロポーズを受けて、盛大に結婚式を挙げて、大きな家に住んだら、すぐに赤ちゃんが来てくれるのだと思ってました。

 

だって皆んなが言ってたから。

 

女の子は大人になったらお母さんになるのよ、って。

 

女に生まれたら男と結婚して子どもを生むのが当たり前なんだよ、って。

 

私の周りの大人は皆んなそう言ってました。

友達も皆んなそう思ってました。

「大人になったら何人子ども産みたい?」なんて言ってはしゃいでました。

 

学校での性教育では、たった一度のセックスでも妊娠するから気をつけなさい、安易に中絶するのは殺人だと教わりました。

 

誰も、人間が妊娠しにくい生き物なんだって事は言ってくれませんでした。

 

一度の交尾で動物は70%以上の妊娠率なのに対し人間の妊娠率はたったの25%で、年齢が上がるにつれ更に妊娠しにくくなるなんて、誰も教えてくれなかった。

 

私が聞き逃していただけなのかもしれないけれど。

 

だから、妊娠は誰でも簡単にできるものだと思ってました。

 

自分の体がおかしいかもしれないと思い始めたのは、10代後半。

 

順調だった生理周期が狂い始めました。

 

2週間、出血が止まらないのです。

 

やっと止まったと思ったら1週間後からまた出血。

 

痛みも目眩も無く元気なんだけれど何かがおかしい。

 

はじめはストレスのせいにしてやり過ごしていたけどどうもおかしい。

 

異変に気付いて半年経った頃、生理か不正出血かわからないのが不安で地元で人気の産婦人科に行きました。

 

調べてみたら、プロラクチン値が高すぎる、そう言われました。

 

医師「胸の張りはありますか?母乳は出ていませんか?これだけの数値だと出ていてもおかしくない。」

 

プロラクチンとは出産後に増える母乳の分泌を促進するホルモンなんだと、教えてもらいました。

 

けれど私には胸の張りや母乳が出る症状はありませんでした。

 

ただ、ひと月の大半出血しているというだけ。

 

生理が止まった事もなく、逆に多すぎるくらいでした。

 

ひと月の内に出血してない日が3日しかないなんて事もよくありました。

 

色々検査して言われたのは、「生理最終日から排卵までの期間が長すぎる」という事でした。

 

ただ、原因がわからない、と。

プロラクチン値が高いのも原因不明だと。

 

医師「原因はわかりませんが不妊症でしょう。不妊治療をしなければ妊娠は無理でしょうね。」

 

冷たい目で淡々と言われたように感じました。

 

泣いたらバカにされそうで、必死に涙を堪えました。

 

その日は何かわからないけど薬を処方されて帰りました。多分、ホルモンバランスを整える薬だったと思います。

 

医師「この薬で症状が治るわけじゃないですが、色んな薬を試してみましょう。治療は将来結婚されてから始めるのでもいいと思います。妊娠の可能性が低くても妊娠する場合だってありますから。」

 

なんだ。ただの気休めの薬か。

 

あーあ。

 

なんで?

 

出血なんて、病院ですぐに治してもらえると思ってた。

 

まさか不妊症って言われると思ってなかった。

 

あーあ。

 

なんで私が?

 

たった一つの夢やのに。

 

子どもの頃からずっと。ずーっとお母さんになりたかったのに。

 

何でよりによって私が不妊症なん?

 

あーあ。

あーあ。

あーあ…

 

それからは、医師に言われるままに漢方など何種類かの薬を試しましたが、一向に症状は改善しませんでした。

 

副作用で吐き気や目眩の出る薬があったのと、花粉症が酷くそちらの通院もあったので、だんだん病院から足が遠のいて行きました。

 

どうせ治らないなら薬なんて飲んでも意味ないや。

 

結婚したいと思う相手が現れてから考えよう。

 

そう思う事にしました。

 

不妊治療をしていたわけではないのですが、ただ薬を飲んでいただけでかなりメンタルがやられてしまいました。

 

自分の体が空っぽに思えて仕方なかったからです。

 

何の取り柄もない上に子どもも産めないかもしれない。

 

そんな女と結婚したい人なんているのかな。

 

なんて事を考えて落ち込みまくった時期がありました。

 

ちょうどその頃、職場上司の女性が、娘さんの話しをしてくれました。

 

上司「うちの娘は結婚5年目やのに子どもができひんでな。ずっと不妊治療してるんやけど、痛い痛い、辛い辛い言うて見てられへんのや。かわいそうでなぁ。」

 

彼女の話しは他人事とは思えず、自分の事のように胸に重くのしかかりました。

 

上司「そんなに辛い思いしてまでなぁ。かわいそうに。代わってやりたいけど何もしてやれへんのがもどかしくてなぁ。娘はずっと泣き暮らしてるんや…」

 

沈む彼女に、何て声をかけていいのかわからず黙りこんでしまいました。

 

私もきっとそうなるんだろう。

 

だけど不妊治療ってそんなに痛いのか。そんなに辛いのか。

 

注射1本すら嫌いなのに、そんな治療に私は耐えられるんだろうか。

 

考え出したら止まらないので考えるのはやめました。

 

愛する人に出会ってから悩めばいいやんか。

 

 

そうして20代後半に差し掛かったころ、旦那と出会いました。

 

口下手でいつも鼻毛を出してる旦那に男らしさを感じた私は、すぐにメロメロになりました。

 

この人の子どもが欲しい!!

絶対に産みたい!!

早く結婚して妊活に励みたい!!

 

決意した私は何度となく結婚を迫りまくり何度も逃げられそうになりました。

 

愛した男には結婚願望が無かったのです。

 

それでも4年後、めでたく結婚しました。

 

もちろん、自分の体の事も全て話した上で。

 

その頃には、ひと月の出血が2週間程度にまで収まっていたので奇跡を信じていました。

 

きっと妊娠できると信じて。

 

ですが全く妊娠しないまま1年半経った頃には、精神がボロボロになっていました。

 

生理が来る度に落ち込んで、泣いて、浴びるようにお酒を飲みました。

 

妊活にお酒はダメなのに、毎日毎日飲んでいて旦那が呆れる程でした。

 

芸能人の妊娠報道を見るだけで、妊婦さんや赤ちゃんを見るだけで、悲劇のヒロインにでもなったように泣いていました。

 

あー、やっぱりダメなんだ。

私は妊娠できないんだ。

 

見兼ねた父は私を励まそうとして

「大丈夫や。豊臣秀吉のおね様(秀吉の正室)も子どもできひんかったから、お前もおね様みたいになれ。」と謎の言葉をくれました。

 

母は、不妊治療のクリニックに一緒に行こうと連れ出してくれました。

 

悲しむだけで、何も行動せず周りに迷惑かけてた自分と比べ、自ら行動して不妊治療を受けている人達を見ると尊敬の思いしかありません。

 

不妊治療専門クリニックの医師はとても優しい人でした。

 

親身に話しを聞いてたくさん笑わせてくれました。

 

泣きながら笑う私に、思いも寄らない話をしてくれました。

 

医師「大丈夫だから、笑ってたらいいよ。ね?妊娠できるかできないかなんて誰もわかんないし、できなくてもいいんだよ。

妊娠しないのが当たり前なんだよ。奇跡なんだからさ。

だいたいさ、子どもなんて手がかかるだけなのになんで皆んなそんなに欲しがるの?本当に大変だよ、育てるの。楽しくなんてないよ?

妊娠なんてしない方がラッキーかもしれないよ?

僕は皆んなに聞くんだよ。子どもの何がいいの?って。親の自由を全部奪っちゃうだけの存在なのにさ。」

 

 

医師のこの話を聞いた時は、何て事を言うんだこの人は!って思いましたが、言い方がすごく気さくで明るかったせいか、妙に腑に落ち、そしてハッとさせられました。

 

そういえば、私は何でこんなに子どもが欲しいんだろう。

 

愛する人の子どもが欲しいから?

昔からの夢だったから?

 

それとも、

 

女は子どもを生むものと刷り込まれて来たから?

 

はじめて、本当に母になる覚悟があるのかと自問自答した瞬間でした。

 

 

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ちょっと長くなり過ぎるので、続きはまた次回書きます。

 

 

おわり。