うちのくだらない話

ポジティブに生きたい母の心の叫びを綴るブログ

30年経っても忘れられない最高の教師

小学校1年と2年の担任の先生(女性)の記憶はあまりありませんが、妙なところで厳しくて苦手だったのを覚えています。

 

絵が下手くそだとか、カンニングしてないのにしただろとか、納得できない事でよく怒られていました。

 

私はほどほどに厳しい家庭で育ち、大人には敬語で話しなさいと言われていたのでもちろん先生にも敬語で話していたのですが、どうやらその堅苦しさが気に食わなかったようです。

 

友達感覚で先生に懐いていた子達はお気に入りでしたから。

 

だけど私は懐けなかった。

親でもない大人にベタベタしたりタメ口で話したり甘えたりできない性格でした。

 

そんな自分の性格がダメなんだろうな、と思いました。

 

少しだけ。

 

実は幼稚園時代の担任にも嫌われ気味だった私は、この世には優しい大人と意地悪な大人がいるという事を十分に知っていたので特に気にはなりませんでしたけどね。

 

そんなこんなでたいして記憶にも残らない2年間を過ごしていましたが、3年生になって担任が変わってから私の世界が輝き始めました。

 

彼女の名は若井先生。

 

若井先生が初めて教室に入って発した言葉をいまでもハッキリと覚えています。

 

生徒「あ!新しい先生が来たー!!誰ー?名前なんて言うのー?」

 

早くも先生に甘えようとするクラスメート達を先生は叱り飛ばしました。

 

先生「先生が来たって何や!年上の人間には敬語を使いなさい!3年生にもなって何やその言葉遣いは!?さぁ、もう一回敬語で言ってみなさい!」

 

静まり返る教室。

 

心無しか全員の背筋が伸びきっているように見えました。

 

先生「誰も答えられへんのか!?」

 

甘え上手な生徒達はこれまでとは違う教室の雰囲気にうろたえていました。

 

が、私はワクワクしました。

 

先生「先生が来られた、や!わかったか!!」

 

なんだこの人は。

 

すごいなこの人は。

 

なぁなぁになってた生徒と教師の関係を一瞬で変えた。

 

先生とは教え導く人。

生徒とは先生を敬い学を授けてもらう人。

そして先生は生徒からの尊敬に値する人。

 

その立ち位置を一瞬で決めた。

 

これまでのように活発で甘え上手な生徒だけが優遇されるんじゃない。

 

全員を平等に見てくれるんだ。

 

消極的でいつも教室の隅っこにいた私は腹の底からシビレました。

 

この人が担任なら、きっと楽しい、と。

 

それから毎日、先生はビシビシ厳しく私達を指導しました。

 

笑顔ひとつ見せずに。

 

特に力を入れてくれたのが国語。

 

先生「国語は全ての教科に通じている。正しい言葉を覚えなさい。正しく文章を書けるようになりなさい。そして正しく意味を読み取れるようにしなさい。」

 

と。

 

起承転結を徹底的に叩き込まれ、私は文章を書く楽しさにのめり込みました。

 

先生「とても上手に書けているからコンクールに出すことにしました。」

 

一度だけ、私の書いた文章が地元の雑誌に載りました。

 

先生「本をたくさん読みなさい。本を通じて世界の広さを感じなさい。」

 

図書室ではたくさん本を読みました。

 

自分で本を選び、読み、空想の世界にふける楽しさを知りました。

 

先生「デッサンをしなさい。たくさん自然に触れて観察して見たものを感じたままに描きなさい。」

 

前の担任に下手くそだと言われた絵を、若井先生は褒めてくれました。

 

先生「伸び伸びと描けているからコンクールに出そう」

 

それから私の絵は毎度コンクールで表彰されるようになりました。

 

先生「畑を耕しなさい。素手で土やミミズやアオムシを触りなさい。虫達が土を綺麗にしてくれているから私達人間が美味しい野菜を食べられる。そんな虫達を怖がったり気持ち悪がったりしたら失礼や。敬いこそすれ怖がるな。大切な命や。決して殺すな。」

 

生まれて初めて自分達で畑を耕し、ミミズを触り、アオムシを触り、ダンゴムシを触り、てんとう虫を触りました。

 

こんな小さな体で必死に生きて、土を綺麗にしてくれてありがとう、と、これまで気持ち悪いと思ってしまっていた虫たちに感謝の気持ちを持つようになりました。

 

毎日毎日畑に行って、色んな野菜を大切に大切に育てました。

 

男子も女子も目標を一つに、一致団結して作り上げた畑にたくさんの野菜が実りました。

 

それを収穫し、新鮮なまま学校で食べました。

 

皆で汗水流して作った野菜はそれまで食べた何よりも美味しくて、嫌いだった野菜も大好きになりました。

 

偏食で少食だった私は、毎日の畑仕事と採れたて野菜の魅力により、だんだんと何でもたくさん食べられるようになりました。

 

学芸会では、和太鼓を叩きました。

 

先生「日本の伝統を大切にしなさい。」

 

しっかりとバチを握り、恥ずかしがらずに腰を入れ心を込めて叩けと怒られまくりました。

 

全員、平等に。

 

先生「素晴らしい音でしょう。日本にはこんな素晴らしい伝統があるんやで。」

 

泣きながら頑張って頑張って、先生と同じ音を出せたときは経験したこともない、とてつもない達成感でした。

 

胸の奥深くに響き渡る和太鼓の音が心を揺さぶり、何度も何度も感動しました。

 

この世にはこれほど美しく力強い音があるのかと。

 

若井先生との日々は、常にクラスで一つの目標を掲げ、皆で一致団結してゴールに突き進む毎日でした。

 

普段笑わない先生も、皆で頑張って成し遂げた日には顔をくしゃくしゃにして笑っていました。

 

何事にも厳しく、先生がいると常に緊張感で溢れかえっていたけれど、毎日がキラキラしていました。

 

とにかく何でもやり甲斐を感じました。

 

成功より、頑張ることが大切なんだと教わりました。

 

皆で力を合わせる事の楽しさを知りました。

 

たった2年。

 

若井先生と過ごした時間は短かったけれど、きっと一生忘れません。

 

かれこれ30年忘れてませんからね。

 

後にも先にもこれほど素晴らしい先生はいませんでしたから。

 

大人になって、親になってひしひしと思うのは、教師にはこうであってほしいな、と。

 

明るく優しい先生に甘えられる環境なんかより、ビシッと背筋が伸びるような緊張感の中で、長い人生で必要な生き方考え方を、自分以外の人や生き物を思い遣る心を、頑張って成し遂げる事の素晴らしさを、日本という国の美しさを、身を持って教えて頂きたいなと。

 

若井先生に出逢えた事が私の人生の素敵な宝物です。

 

子ども達にもこんな素晴らしい出逢いをして欲しいと切に願います。

 

いつの間にやら文章も下手くそになってしまったけど、たくさん書いて、上手だと言われたあの時みたいな文章が出来上がって、いつか若井先生の目に一瞬でも留まれたら幸せだなぁなんて想いに耽る今日この頃です。

 

 

おわり