うちのくだらない話

ポジティブに生きたい母の心の叫びを綴るブログ

3人の子どもを育て上げたシングルマザーの後悔

酒を飲めば暴れる夫との別れを彼女が決意したのは、末っ子がまだ2歳の時だった。

 

実家から遠く離れた土地で3人の子を抱え、貯金も持ち家も無い。

 

先の不安が、これまで幾度となく頭に浮かんだ離婚の2文字を打ち消していた。

 

だがそれも、もう限界だった。

 

夫の暴力が子ども達にまで及ぶようになったのだ。

 

酒を飲んでは暴れる夫から子ども達を守る為、押し入れの中で息を潜める毎日。

 

正義感溢れる当時8歳の長女は、そんな父から母とまだ小さな兄弟を守ろうと必死に闘おうとした。

 

そんな事、させるわけには行かなかった。

 

これ以上、迷っているわけには行かなかった。

 

早くここから逃げなければ。

 

そんな時、この母子の苦労に夫の兄弟が勘づいた。

 

「子ども達の為に、あなた自身の為に、早く離婚した方がいい。」

 

周りからの助言で意を決した彼女は、パート先の上司や夫の兄弟の協力を得て離婚に踏み切った。

 

夫が子ども達に接近しないよう、学校や保育園に頼み込んだ。

 

夫には3人の兄弟がいて、「女手一つで3人も育てるのは大変だろう。兄弟それぞれが子ども達を引き取るからその間に働いてお金を貯めたらいい。」

そう提案してくれた。

 

だが彼女はその申し出をきっぱりと断った。

 

「3人の子どもは決して離しません。必ず私が育て上げます。」

 

そう言って。

 

料理好きの彼女はスーパーの惣菜を調理するパートをしていた。

 

仕事と3人の子ども達が彼女の生き甲斐だった。

 

朝から晩まで冷たい調理場で立ちっぱなし。

 

休みは週に一度だけ。

 

子ども達と過ごす時間なんかほとんど無かった。

 

参観日も運動会も学芸会も見に行けなかった。

 

哀れに思った同級生の親が子ども達の写真を撮ってくれた。

 

その写真を見ては涙が溢れた。

 

全然構ってやれない罪悪感でいっぱいになった。

 

それでも立ち止まるわけには行かなかった。

 

感傷に浸っている暇なんてなかった。

 

彼女は誓ったのだ。決して子ども達を手放さないと。

 

必ず自分が育て上げるのだと。

 

子ども達にはこれ以上苦労をかけるわけにはいかないのだ。

 

自分が稼がなければ、子ども達が路頭に迷ってしまうのだ。

 

そうやって彼女は自分を奮い立たせた。

 

そしてどんな時も働いた。

 

子どもが体調を崩しても近所の人に面倒を頼み、決して仕事を休まなかった。

 

来る日もくる日も働いた。

 

ただただ前を向いて踏ん張り抜いた。

 

それだけ必死に働いてもパート代は少なかった。

 

子ども達の服や靴は、近所や職場の人に頭を下げてお古を貰った。

 

食べ物は惣菜の余りや見切り品の食材を譲って貰った。

 

小さなボロボロの借家ばかりを何度も転々と引っ越した。

 

ギリギリの生活だった。

 

だが子ども達は笑っていた。

 

あんな怖い父親からようやく離れられたのだから。

 

子ども達の笑顔が彼女の癒しであり原動力であった。

 

子ども達を1日も早く一人前に育て上げる事が彼女のたった一つの目標だった。

 

けれど、どんどん成長してくれるのは彼女にとって嬉しくもあり寂しくもあった。

 

特に末っ子とはほとんど一緒に遊んでやった記憶が無い。

 

愛しい我が子の成長をゆっくり見てやれない。

 

それが彼女の胸を締め付けた。

 

だが決してかわいそうだとは思わない事にした。

 

かわいそうなんかじゃない。かわいそうなもんか。

 

子ども達も。自分も。

 

哀れんだら、それで終わりだ。

 

ただひたすら前に進むしか無い。それが人生だと思うから。

 

笑っていたらきっといい事がある。

 

そう信じていたいから。

 

働いて働いて、やっと自分の家を買えた。

 

雨漏りするほどボロボロの小さな小さな家だけど、母子にとってはようやく見つけた安息の家だった。

 

借家じゃない。もう引っ越さなくてもいいのだ。

 

子ども達が望む専門学校や大学にも進学させた。

 

お金は無かったが、彼女はいつも子ども達の事を考えていた。

 

少しの時間でも必ず子ども達を見つめていた。

 

そんな彼女の愛情は、しっかりと子ども達に伝わっていた。

 

子ども達もまた、頑張る母の背中を誇らしく見つめていたのだ。

 

必死に駆け抜けた彼女がふと立ち止まったのは、子ども達が立派に成長し巣立った後だった。

 

彼女には仕事だけが残った。

 

辛い時には仕事と職場の人達、そして近所の人達に救われた。

その感謝を彼女は決して忘れなかった。

 

周りのたくさんの人達に支えられて今があるのだと。

 

だから子ども達を守り抜いてこられたのだと。

 

退職した今でもよく感謝の気持ちを口にしている。

 

大人になった子ども達は、いつも母を想っている。

 

どんなに忙しくても疲れていても愛情たっぷりの手料理で育ててくれた母を、彼らは決して放ったらかしにはしない。

 

今度は自分達が母を守る番なのだと、口には出さないもののそう決意しているのだ。

 

頼れる大人を3人も育て上げた彼女は、子ども達をどうやって育てたのか記憶にないと言う。

 

ただ、構ってやれなかったという後悔だけがあるそうだ。

 

特に末っ子は2歳からずっと放ったらかしだったから、と。

 

いわゆる3歳児神話を気にしているようだ。

 

だから私は彼女に言った。

 

「息子さんはそんなふうに思っていませんよ。」

 

ふと、彼女の顔がほころんだ。

 

「もう必死だったから。なりふり構わず、ただ、がむしゃらに生きて来ただけだから。」

 

ただ、がむしゃらに。

 

彼女がよく使う言葉だ。

 

その言葉を聞く度に胸の奥から熱いものが込み上げてくる。子どもを産んでからは特にそうだ。

 

親になったからと言ったって、誰もが彼女のように子どもを守り抜けるわけじゃない。

 

夫婦揃ってたって、子を育てるのも生活を守るのも息切れするほど大変なのだ。

 

 

それなのに。たった1人で3人の人生を背負って。

 

どれだけの不安に押し潰されそうになった事だろうか。

 

どれだけ涙に暮れた夜を明かした事だろうか。

 

その苦労は計り知れない。

 

そんな中で。

 

よくぞ守り抜いて下さいました。よくぞ育て上げて下さいました。

おかげで今の私達の幸せがあります。

 

お義母さん。

 

「めちゃくちゃ愛されて育った」

 

酔っ払った時にうっかり口を滑らせた息子さんの言葉です。

 

彼はひた隠しにしていますが生粋のマザコンです。

 

嫁にはわかります。

 

だから、後悔なんて要りません。

 

強いて言うなら、息子さんを放ったらかしにしているのは嫁の私です。

 

「ドラ母ちゃん、子ども達が小さい今は大変な時期やけど、後でどれほど戻りたいと願っても戻れない、かけがえのない日々やな。」

 

ついついイライラしてしまう毎日に、姑がくれたこの言葉は、私の大切な宝物となった。

 

 

おわり。

 

今日もくだらない話を聞いて頂きありがとうございました。

 

それでは、また♪